知り合おうとしなけりゃ、知り合えない
「結局は知り合えたかどうかでしかないんだよね。」
親しい友人がこんなこと言っていた。
うん、そうだね。確かに。
わたしもここに至るまでの道のりを振り返ってみたら同じことが言える。
潔く自責した友達はかっこよかった。
中途社員の面接をしている人事の知人がいてこんなことを言っていた。
「前職を辞めた理由を面接では必ず聞く。
そのときに
『希望する部署で働かせてもらえなかったので』
『直属の上司とソリが合わなくて』
と答えられることが多い。
そう他責に考えている人はだいたいオトすね。
続きを読むわたしの脳内麻薬の打ち方
あなたは元カレを生かす派ですか?殺す派ですか?
あなたは元カレ(カノ)を生かす派ですか?殺す派ですか?
わたしは圧倒的に後者だと思う。
一度その人と別れると、もう自分のシナリオにその人を登場させることはない。
お別れをしたそのページで殺してしまうのだ。
だからさよならのときはものすごく辛い。
この先、一切合切、金輪際、会うことはおろか、連絡を取ることもない。
と思っているから。
だけど、わたしの友人は違うらしい。
「え?普通に会うこともあるよ?そんな今生の別れみたいに思うことはないよ」
え?なんで?関係を終わらせたほうが、悲しいけど、区切りがつかない?
「だってその人とは『恋人』として合わなかっただけで『友達』としてはそんなことないかもしれないじゃん」
…。
そうか。そんな考え方もあるんだ。
目からウロコだった。
彼女は自分のシナリオの中でずっと元カレを生かし続けている。
一度その人の回が終わったとしても、ふとした何でもないタイミングでまた現れる。
恋人として終わったら、友人として初めて、何かのきっかけで恋人に戻ったりして。
私の物語は、これからも当分は、ばっさばっさと時代劇のごとく元カレを切り倒していくと思う。
死人がゾンビのように蘇って現れるホラー映画の監督に転身する気もない。
でも
彼女の物語はそれと違って、なんかナチュラルで自由で、いいな、と思った。
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表面張力がこぼれたときに涙は出る。
最近「哀しみ」についてよく考える。
私の哀しみを受け止めるコップは多分すごく小さい。
自分が受け取れるキャパシティをはるかに超えた哀しい出来事に襲われると
コップに溢れ出るだけの水をただただ呆然と眺めていることしかできなくなる。
哀しさを実感して涙を流している、というよりかは、ただただだらしなく、こぼれているだけだ。
「時間が解決してくれる」
というのは、コップの中の哀しみが蒸発することを指してるんだろうけど
哀しみの濃度が濃いと、コップの中の水はいつまでもタプンタプンとたゆたう。
表面張力の時間はずっと、ずっと、続く。
ギリギリの状態を維持しているもんだから、ふと躓いたときに
コップの水はこぼれてしまう。
それは、自分の不注意でこぼれることもし
他人にコップを傾けられることもある。
ふいに、朝も昼も夜も関係なく訪れる。
「あ、時間が解決してくれたんだ。」
と安心しても、自分がコップを持っていることを忘れているだけの場合もある。
だから
自分がコップを持っていることを自覚して生活するしかないんだと思う。
そのうち、大きいコップが見つかるかもしれないし。
大きいコップの中に入っているのを安心して自由に過ごしているうちに
蒸発してくれてるかもしれないし。
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幸せはちびちびと味わう
自由に遊べる新しい場所を作りました。
自分の心の中の小さな動きを記録しておく場所が欲しくて、新しいブログを作りました。