表面張力がこぼれたときに涙は出る。
最近「哀しみ」についてよく考える。
私の哀しみを受け止めるコップは多分すごく小さい。
自分が受け取れるキャパシティをはるかに超えた哀しい出来事に襲われると
コップに溢れ出るだけの水をただただ呆然と眺めていることしかできなくなる。
哀しさを実感して涙を流している、というよりかは、ただただだらしなく、こぼれているだけだ。
「時間が解決してくれる」
というのは、コップの中の哀しみが蒸発することを指してるんだろうけど
哀しみの濃度が濃いと、コップの中の水はいつまでもタプンタプンとたゆたう。
表面張力の時間はずっと、ずっと、続く。
ギリギリの状態を維持しているもんだから、ふと躓いたときに
コップの水はこぼれてしまう。
それは、自分の不注意でこぼれることもし
他人にコップを傾けられることもある。
ふいに、朝も昼も夜も関係なく訪れる。
「あ、時間が解決してくれたんだ。」
と安心しても、自分がコップを持っていることを忘れているだけの場合もある。
だから
自分がコップを持っていることを自覚して生活するしかないんだと思う。
そのうち、大きいコップが見つかるかもしれないし。
大きいコップの中に入っているのを安心して自由に過ごしているうちに
蒸発してくれてるかもしれないし。