ICHIJIKU BLOG

ものづくりが好きなフリーライター。書くことにしがみつきながら今日も執筆中。 WEBは「ヤフーライフマガジン」「ぐるなび」雑誌は「MONOQLO」 「samuraiELO」などなどで書いています。

大人になるとスクールカーストからは追い出される

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こんな記事がツイッターのタイムラインに流れてきた。

彼女のイジめられていた痛ましい記憶が

まざまざと蘇る感覚を想像すると

暗い感情が流れてきて、私の目の前も暗くなる。

 

 

私の学生時代にはスクールカーストという言葉は

そんなに浸透していなかったけど、

そこにいるだけで優越感をにじませている集団と

そこにいるだけで劣等感を感じている集団がいたと思う。

小学校のとき私は、スクールカーストの底辺にいた。

 

そこから、中学校で真ん中の層まで上昇し

高校には上らへんにいた、と思う。

自己申告でしかないけど。

 

 

小学校の頃はよく仲間はずれになっていた。

机に勝手に落書きをされていたこともあるし

花いちもんめでも最後に余ってしまうような子供だった。

完全に孤立していたわけではないけど

いじめっこ体質の子に目を付けられてしまう性格だったんだと思う。

 

その経験もあり、高校に入学した最初のうちは

ものすごく緊張しながら、神経を尖らせながら、

俯瞰で教室を眺めていた。

どの子とどの子がグループになりうるのか。

どの子がどの子が中心人物になりうるのか。

自分はどの子といたら毎日暮らしやすい日が送れるのか。

 

その甲斐あって、学年一とおぼしきやんちゃなグループで

毎日お腹が痛くなるくらいまで笑って自由に過ごしていた。

あまりにうるさすぎて、そのグループを分裂させるために

予定していなかったクラス替え決行をされたくらいだ。

(食べていたうまい棒を吹きかけ合ったり…

飲んでいたポカリスエットを吹きかけ合ったり…

とにかく吹きかけ合うのが好きな私たちだった。あ、女子高です。)

 

高校生活はそんな感じで終わったので

いじめっ子体質の子は憎んでいないけど、

確かにされたことは今でも鮮明に思い出せる。

 

でも実は、わたしの場合

高校に入学するずいぶん前に

どうでもよくなってしまってもいた。

 

中学校に入学して少し経った頃だったと思う。

 

その子は小学校から私立の中学校に入ったので

中学校からは別々になったんだけど

最寄駅は同じなので朝の電車で会うことはある。

その子は小学校の頃の活発そうな表情とは真逆の

青白い顔色に、死んだ魚の目をしていた。

これから始まる学校生活への希望の片鱗が感じられなかった。

そのときに一発でわかった。

 

「あ、今はこの子、下のほうにいるんだ」

 

と。実際のところはわからないけど、

元いじめられっ子のそういう類の勘は鋭い。

不思議とすっきりとはしなかったけど

なんだかそのときに心底、どうでもよくなったのだ。

 

 

学生のころは上にいったり下にいったりすることで

ときどき高山病みたいになって苦しかったけど

大人と呼ばれる年齢になればそこから抜けられる。

というかそんなところからは追い出される。

個人で生きていかなくちゃいけなくなる。

 

それがまた違う質の苦しさもあるんだけど

私は今の方がずっとずっとラク。

 

いちじく舞